聖徳太子(しょうとくたいし)、あるいは厩戸皇子(うまやどのみこ、574年 - 622年)は、日本の飛鳥時代における伝説的な人物で、推古天皇の摂政として名を残しています。彼の出生時、馬屋の前で生まれたことから「厩戸皇子」と呼ばれるようになり、この名前は現代でも聖徳太子の異名として知られています。
十七条憲法の制定
聖徳太子、あるいは厩戸皇子は、当時の政治・宗教改革の中心人物として、十七条憲法の制定や冠位十二階の導入に深く関与したとされています。彼は、仏教を国の中心に据えるための政策を進め、日本における仏教の普及に尽力しました。特に「和を以て貴しと為す」という十七条憲法の理念は、争いを避けて社会の調和を保つことを強調したもので、彼の平和的なリーダーシップが表れています。
日出処の天子
聖徳太子はまた、中国(隋)との外交を重視し、遣隋使を派遣して日本の独立性を示したことでも知られています。この際、彼は「日出づる処の天子」として天皇を表現し、日本が対等な国家であることを隋に示しました。この姿勢は、彼が日本の自主性や外交における自立を強く意識していたことを示しているとされています。
存在について
近年の歴史学や考古学の見地からは、聖徳太子、あるいは厩戸皇子が実在の人物であったかどうかについて疑問視する意見もあります。『日本書紀』や『古事記』といった史料に描かれる彼の業績や人物像は、後世の理想像を反映しているとされる部分が多く、特に法隆寺の建立や三経義疏(法華経・勝鬘経・維摩経の注釈書)などの業績については、彼の死後に付け加えられた可能性もあると指摘されています。
また、厩戸皇子が実際には複数の人物の功績や伝説が合わさってできた「象徴的な存在」であるという説もあります。聖徳太子の伝説が日本の思想や政治体制に及ぼした影響は非常に大きく、たとえ歴史的な実在性に疑問が残るとしても、彼の人物像は日本の文化や精神性に深く根付いていると言えるでしょう。